TOJ(ツアー・オブ・ジャパン)を観戦していると、選手たちがまるで磁石で吸い寄せられるように、一列にピタリと並んで走る姿を目にするはずです。
「もっと自由に走ればいいのに」と思うかもしれませんが、実はこれ、時速50kmという極限の世界で生き残るための生存戦略なんです。
今回は、集団の中で起きている物理現象「ドラフティング」についてお話しします。
1. 最大の敵は「見えない壁」
自転車レースにおいて、上り坂以上に選手を苦しめるのが「空気抵抗」です。
速度が上がれば上がるほど、空気はまるでお湯の中を歩くような「重い壁」となって立ちはだかります。時速40kmを超えると、選手が使うエネルギーの約90%が、この空気の壁を押し除けるためだけに消費されると言われています。
もし、一人でこの壁に立ち向かい続けたら、どんな超人でも数キロで力尽きてしまうでしょう。
2. 「ドラフティング」という魔法の技術
そこで登場するのが「ドラフティング(スリップストリーム)」です。
先頭を走る選手が空気の壁を切り裂くと、その後ろには気圧が低い「空気のトンネル」のような空間が生まれます。
- 後ろの選手はどれくらい楽?: 先頭の選手にピタリとつくことで、空気抵抗を最大で30%〜50%もカットできると言われています。
- 体力の温存: この「空気のトンネル」の中に入っている間、選手は心拍数を抑え、脚を休めることができます。これが、ゴール前で爆発的なスプリントを繰り出すための「貯金」になるのです。
3. 実は「先頭の人」も少しだけ得をする?
驚くべきことに、一列に並ぶと、後ろの選手だけでなく「先頭の選手」も少しだけ楽になります。
後ろに別の選手が密着することで、先頭の選手の背後に発生する「空気の渦(引き戻そうとする力)」が抑えられ、空気の流れがスムーズになるからです。 つまり、一列で走ることは、チームや集団全体にとって「最も効率的に速く走れる形」なのです。
4. 飯田ステージの「風」と「坂」の駆け引き
信州飯田ステージでは、このドラフティングがさらに面白い見どころになります。
- 平坦区間: 猛烈なスピードで一列の「トレイン」を組み、風を切り裂いて進みます。
- 上り坂: スピードが落ちる上り坂では、空気抵抗の影響が小さくなり、代わりに「重力」との戦いになります。ここで一列が崩れ、個人の力がぶつかり合うガチンコ勝負が始まります。
「風のトンネル」を使ってどこまで体力を温存し、どのタイミングでそのトンネルから飛び出すのか。
その駆け引きこそ観戦の醍醐味です。
科学の目で見ると、レースはもっと面白い
次に選手たちが通り過ぎる時は、ぜひ「先頭の選手が受けている風の強さ」と、「その後ろでじっと耐える選手の静けさ」のドラマに注目してください。
一列の隊列は、単なる並び順ではなく、選手たちが知恵を絞って作り上げた隊列なのです。


